大津地方裁判所 昭和51年(ワ)12号 判決 1978年1月23日
原告 国
被告 大谷繁 外六名
主文
一 原告と被告大谷繁との間において、原告が別紙物件目録記載(一)ないし(六)の各土地につき所有権を有することを確認する。
二 同被告は、前項の各土地につきなされた別紙登記目録記載(一)の各登記の抹消登記手続をせよ。
三 原告と被告川崎嘉一との間において、原告が別紙物件目録記載(一)、(四)、(八)及び(九)の各土地につき所有権を有することを確認する。
四 同被告は、別紙物件目録記載(一)及び(四)の各土地につきなされた別紙登記目録記載(二)の各登記並びに別紙物件目録記載(八)及び(九)の各土地につきなされた別紙登記目録記載(五)の各登記の抹消登記手続をせよ。
五 同被告は、原告に対し、第三項の各土地の明渡をせよ。
六 原告と被告川崎とみ枝との間において、原告が別紙物件目録記載(二)、(三)、(五)及び(六)の各土地につき所有権を有することを確認する。
七 同被告は、前項の各土地につきなされた別紙登記目録記載(三)の各登記の抹消登記手続をせよ。
八 同被告は、原告に対し第六項の各土地の明渡をせよ。
九 原告と被告岡野すみゑ及び同千鶴子との間において原告が別紙物件目録記載(七)ないし(九)の各土地につき所有権を有することを確認する。
一〇 同被告らは、前項の各土地につきなされた別紙登記目録記載(四)の各登記の抹消登記手続をせよ。
一一 同被告らは、原告に対し別紙物件目録記載(七)の土地の明渡をせよ。
一二 原告と被告大谷忠男及び被告株式会社洋菓子のヒロタとの間において、原告が別紙物件目録記載(一〇)及び(一一)の各土地につき所有権を有することを確認する。
一三 被告大谷忠男は、前項の各土地につきなされた別紙登記目録記載(六)の各登記の抹消登記手続をせよ。
一四 被告株式会社洋菓子のヒロタは、第一二項の各土地につきなされた別紙登記目録記載(七)の各登記の抹消登記手続をせよ。
一五 同被告は、原告に対し第一二項の各土地の明渡をせよ。
一六 訴訟費用は、被告らの負担とする。
事実
第一当事者の求めた判決
一 請求の趣旨
主文と同旨。
二 請求の趣旨に対する答弁
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1(一) 別紙物件目録記載の各土地(以下「本件土地」という)は、旧大字佐波江の全土地と共にいずれももと訴外亡井狩重之(以下「重之」という)の所有であつた。
(二) 原告は、以下の事情により本件土地の所有権を取得した。すなわち、
(1) 本件土地は、日野川の琵琶湖に流入する河口部付近の堤外地(堤防の流水側の土地)にあつて、右岸堤防と流水敷とに挾まれたほぼ三角形をなす地帯(以下「本件三角地帯」という)の中に存し、河川区域とされている土地である。
(2) 本件三角地帯の形成された経緯は、およそ次のとおりである。
(ア) 日野川は、大正年代中期頃までは旧大字佐波江字松風の南側で通称「古川」(「西流」ともいう)と通称「新川」(「北流」ともいう)とに分岐し、古川は西流して琵琶湖に流入し、新川は北上した後、本件三角地帯の南側の現在の近江八幡市佐波江町字北中島四六六番地(以下単に番地のみで示す場合は佐波江町字北中島の番地を指す)付近で急激に東方へ屈曲し、四六七番地から四七六番地ないし四八四番地に沿つて東流し(屈曲点より下流を以下「東流」という)、四八五番地先で琵琶湖に流入していた。また当時本件三角地帯は、現在の日野川左岸と地続きであつたから、右四七六番地ないし四八五番地と共に、旧大字佐波江字北中島に属しており、新川の流心が旧大字佐波江と旧大字野との境界となつていた。
(イ) ところが大正年代中期頃、豪雨による出水で新川の前記屈折点すなわち四六六番地及び四六七番地付近の北岸が決壊して、本件三角地帯一面に氾濫し、本件土地を含む一帯はすべて流水下に没して扇状の河口部となり、東流は涸渇した。
(ウ) その後本件三角地帯付近に河川工事が施工され、日野川右岸に現在本件三角地帯の東方にある堤防が構築されたので東流は廃川となり、新川の川幅拡張により古川も廃川となつた。
(エ) 更に経年し前記扇状の河口部は、流水敷が次第に左岸寄りになり、右岸寄りには高洲が形成されて、現在に見るような本件三角地帯の状況となつた。
(3) (ア) 原告は、前記日野川の氾濫により本件三角地帯付近が流水下に没し、その後の河川工事により東流、古川が廃川となつたので、その頃重之との間において、原告所有の東流の廃川敷地のうち流心より北半分(佐波江側)及び古川の廃川敷地の大部分と、重之所有の本件土地を含む本件三角地帯付近一帯の土地とを交換する契約を締結した。
(イ) 仮に右(ア)の事実が認められないとしても、重之もしくは重之の家督相続人である訴外井狩貞之は、大正年代中期頃から遅くとも昭和一八年頃までの間に本件土地を全く維持管理することなく放置してその占有及び所有権を放棄し、その結果、本件土地は、無主の不動産として原告の所有となつた。
2(一) しかるに、被告大谷繁は、別紙物件目録記載(一)ないし(六)の各土地につき、別紙登記目録記載(一)(以下物件目録(一)ないし(六)、登記目録(一)というように記載する)の登記を、被告川崎嘉一は、物件目録(一)及び(四)の各土地につき登記目録(二)の、物件目録(八)及び(九)の各土地につき、登記目録(五)の各登記を、被告川崎とみ枝は、物件目録(二)、(三)、(五)及び(六)の各土地につき、登記目録(三)の各登記を、訴外亡岡野止十郎は、物件目録(七)ないし(九)の各土地につき登記目録(四)の各登記を、被告大谷忠男及び被告株式会社洋菓子のヒロタ(以下「被告ヒロタ」という)は、物件目録(一〇)及び(一一)の各土地につき、被告大谷忠男が登記目録(六)、同ヒロタが同(七)の各登記を有し、以上の各土地に対する原告の所有権を争つている。
(二) しかしながら右各登記は、いずれも実体を有しない無効の登記である。
(三) なお被告岡野すみゑ及び同千鶴子は前記訴外亡岡野止十郎の相続人であつて、他に相続人はいない。
3 被告川崎嘉一は、物件目録(一)、(四)、(八)及び(九)の、同川崎とみ枝は同(二)、(三)、(五)及び(六)の、同岡野すみゑ及び同岡野千鶴子は同(七)の、同ヒロタは同(一〇)及び(一一)の各土地をそれぞれ占有している。
4 よつて、原告は、本件土地についての原告の所有権を争う被告らとの間で、右各係争の土地につき原告が所有権を有することの確認を求めるとともに、所有権に基づき、登記目録記載の各登記の登記名義人又はその相続人である各被告に対し、当該登記の存する各土地につき右の各登記の抹消登記手続を、本件土地の各占有者である各被告に対し当該占有土地の明渡をそれぞれ求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因第1項の事実中、
(一) (一)の事実を認める。
(二) (二)の冒頭の主張を争う。
(1) 同(1) の事実を認める。但し河川区域所属とされたのは昭和四七年三月一〇日である。
(2) (ア) 同(2) の(ア)の事実中、新川の屈曲点及びその後の東流の位置については知らないが、その余の事実を認める。
(イ) 同(イ)の事実中新川が大正年代中期頃豪雨出水により決壊し、その後東流が涸渇したことを認めるが、本件土地がすべて流水下に没したとの点を否認し、その余の事実は不知。
(ウ) 同(ウ)の事実中新川に河川工事が施工されたこと並びに東流及び古川がそれぞれ涸渇したことを認めるがその余の事実は不知。
(エ) 同(エ)の事実は不知。
(3) (ア) 同(ア)の事実を否認する。
日野川が大正中期に決壊し、新川が真直ぐ琵琶湖に注ぐようになり、東流及び古川が涸渇したので新川の新水流を囲んで両岸に堤防が構築され、この頃原告と重之との間で土地交換が行われた事実を認めるが、その交換は、日野川(新流)の両岸の堤防敷地と、東流の河川敷の北半分及び古川の河川敷の北半分との交換であつた。
(イ) 同(イ)の事実を否認する。
所有権の放棄は、所有者の所有権放棄の意思が不可欠の要件であるところ重之もしくは訴外井狩貞之において、本件土地の所有権を放棄する意思があつたことはなく、かえつて農地解放まで現地の百姓総代を通じて本件土地を管理していたものである。
また、一般に土地所有者が遠隔の地に山林、原野などを所有しているため、管理人さえ置かずに放置したままにしておくことがあるが、このような場合直ちに所有権が放棄されたものとして国の所有に帰するとするのは暴論である。
また重之もしくは訴外井狩貞之が、水害による荒廃が原因で本件三角地帯を放棄したというのであれば、本件三角地帯の中にあつて、本件土地に隣接している四七二番地及び四七四番地の各土地が現在なお民有とされていること及び本件土地より湖岸寄りに訴外井狩貞之所有の山林、原野が現存することと矛盾する。
また、本件土地が河川区域として原告の所有に帰したとすれば旧河川法に基づき本件土地は河川台帳に記載されているはずであるが、そのような事実は存在しない。
2 請求原因第2項(一)及び(三)の事実を認め、(二)の主張を争う。
3 請求原因第3項の事実を認める。
4 請求原因第4項の主張を争う。
第三証拠<省略>
理由
一 原告は、大正年代中期頃重之から交換により本件土地を取得した旨主張するので、まずこの点について検討する。
その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲ア第一四、第一六、第一七号証中には右主張にそう記載部分があるけれども、右甲ア第一四、第一六号証の供述者たる鈴木信一及び井狩貞之は、いずれも法廷において、本件三角地帯そのものが交換の対象となつたことを否定する証言をしており前記各書証が右両証言に比してより措信しうると認めうる特段の事情も存在しないので、右書証記載部分をたやすく措信することはできず、前顕甲ア第一七号証も、同第一四、第一六号証の内容とほぼ同様の記載であつてやはり措信することができないし、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。
二 そこで、重之が本件土地の所有権を放棄し、原告が無主の不動産としてこれを取得した事実があるか否かを検討する。ところで、後に判示のように、本件土地は、昭和四〇年から同四三年までの間に被告大谷繁らによつて保存登記の手続がとられるまでは未登記の物件であつたため、重之の右所有権放棄の意思が登記の抹消の方法により明確にされる余地はなかつたうえに、右放棄に伴う本件土地所有権の国への帰属を明確にした公の記録も皆無であるため、以下、右放棄の有無に関連する諸事情を吟味し、その上に立つて、右放棄の有無を判定することとする。
1(一) 次の各事実は、当事者間に争いがない。
(1) 本件土地は、日野川が琵琶湖に流入する河口部付近の堤外地にあつて右岸堤防と流水敷とに挾まれたほぼ三角形をなす地帯(本件三角地帯)の中に存する河川区域であること。
(2) 日野川は、大正年代中期頃までは、旧大字佐波江字松風の南側で、通称「古川」と通称「新川」とに分岐し、古川は西流して琵琶湖に流入し、新川は一旦北上した後東方へ屈曲し琵琶湖へ流入していたこと及び本件三角地帯は、現在の日野川左岸と地続きであつたから、近接する四七六番地ないし四八五番地と共に、旧大字佐波江字北中島に属しており、新川の流心が旧大字佐波江と旧大字野との境界となつていたこと。
(3) 新川の川岸は、大正年代中期頃豪雨出水により決壊し、その後河川工事が施工され新川の新水流を囲んで両岸に堤防が構築され、一方東流及び古川はそれぞれ涸渇したこと。
(4) 右新川の新水流の両岸の堤防の建設工事にあたり、重之がその所有地を右堤防の敷地として国に提供し、他方、国から涸渇した東流及び古川の河川敷の一部の所有権を取得したこと。
(5) 本件三角地帯を含む旧大字佐波江の土地は、大正年代中期頃にはすべて重之の所有であつたが、重之の死後、本件三角地帯を除き右土地はいずれも訴外井狩貞之の所有となつたこと。
(二) 前顕甲ア第一四、第一六、第一七号証、成立に争いのない甲ア第一ないし第七号証、乙第二、第三号証、甲イ第一ないし第三号証、甲ウ第一、第二号証、その方式及び趣旨により公務員がその職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲ア第一一、第一三号証、第一八ないし第二〇号証、第二三号証、証人鈴木信一の証言により真正に成立したものと認められる甲ア第八、第九号証、同井狩貞之の証言により真正に成立したものと認められる甲ア第一五号証並びに証人鈴木信一及び同井狩貞之の各証言によれば次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(1) 新川の川岸の前判示の決壊は、大正六年頃四六七番地付近の北岸で生じ、同川は本件三角地帯一面に氾濫し、同年に二、三回、翌年に二、三回、翌々年にも出水があり、流水敷が広がり、本件三角地帯の田や松林は押し流され扇形の河口として流水敷を含む河原になり、新川がほぼ北上したままで琵琶湖に流入するようになつたので、東流及び古川は流量が減少した。前判示の新川の河川工事は、大正九年頃に施工され、新川の新水流の両側に堤防が構築され、その右岸堤防は本件三角地帯の東側に沿つて湖岸付近まで延びていた(現在、右堤防は四七二番地と四七六番地の間付近までしか存在しないが、右は後記開墾の際に堤防の盛土が持ち去られたためであつて、構築当時は更にその北方(湖岸寄り)の四七五番地と四八五番地の間にまで存在したものと認められる。)ので、本件三角地帯は、堤外地の土地となつて、その東方の四八五番地等とは右堤防で区画される状態となり、他方、古川と東流は、河水の流入口をふさがれたので、いずれも廃川となつた。
(2) 前判示の新川の新水流両岸の堤防建設工事の際、重之が国から取得した廃川敷は、東流の流心より北側の部分及び古川のうち佐波江地内の部分全部と、それより上流の分岐点までの部分の北半分であつた。
(3) その後新川の新水流は、本件三角地帯付近では、真直に流れるようになるとともに、徐々に西側に寄つていき、昭和一五年頃にはほぼ現状のような左岸沿いの水流となつた。また、前記出水の当時は上流の山から常時大量の土砂が流出していたので、東側の本件三角地帯付近には寄洲ができ、高い所は島状になつて萱が、低い所は湿地帯となり水が溜つて芦が茂るようになつた。
(4) かかる状態の本件三角地帯に対する関係人の関与の具体的事情として、
(ア) 佐波江地区では、本件三角地帯が前判示の新川の河川工事後は私人の所有に属さないものとして、そこに生育した萱や芦を第三者に入札させて売却し、地区の経費にあてていたこと、
(イ) 他方、井狩家では、前判示の東流の廃川敷を入手して間もない頃、重之が本件三角地帯の東側に位置する萱原の四七七番地ないし四八二番地の六筆の土地を人を雇つて右東流の廃川敷と共に開墾させたが、この際に本件三角地帯の土地については何ら手をつけず、その後井狩家の当主となつた訴外井狩貞之や井狩家のために佐波江地区内の同家所有の土地の管理を行つていた総代らも本件三角地帯の土地に対する何らかの管理的所為を示すことなく経過し、佐波江地区が行つている前判示の萱や芦の処分に対しても何らの異議を述べなかつたこと、
(ウ) その後、昭和一六、七年頃食糧増産の国策に従い、佐波江農事実行組合(以下「実行組合」という)が、本件三角地帯を開墾することになつた際、実行組合は、県の耕地課から開拓の許可を、土木課から河川敷占用許可をそれぞれ得て、実行組合の組合員全員より出資を受けて開拓費用に充て、組合員のうちこの土地の耕作を希望した訴外亡大谷宗一郎(被告大谷忠男の父)と、被告大谷繁の兄弟に開墾作業を担当させた。昭和一九年に本件三角地帯の開墾がほぼ完成し、実行組合は、右開墾地を前記大谷兄弟らに、当初五年間の小作料を免除する条件で小作させた。また昭和一八年一二月七日及び同一九年六月一日に国からそれぞれ開田工事事業助成金が交付され、このうちから組合員に対し出資金相当額が払戻され、また実際の開墾担当者である前記大谷兄弟に事業担当者補助金が支払われた。右開墾事業の実施、開墾地の小作関係の処理、助成金及び補助金の支払は、いずれも訴外井狩貞之の同意ないし承諾なしに行なわれ、同訴外人に対しこの時点及びそれ以後において小作料その他の土地使用の対価の支払がなされなかつたけれども、同訴外人や井狩家の土地管理に従事する総代らがこれらのことに対し異議や苦情を述べたことはなかつたこと、
(エ) 実行組合は、その後も、県の土木課から本件三角地帯につき河川敷占用許可を受け、前記大谷兄弟らが実行組合名義で、県に対し河川敷使用料を支払い、その後昭和三〇年になつて、実行組合が佐波江町農事改良組合(以下「改良組合」という)に事務を引継いで解散した後は改良組合が本件三角地帯につき河川敷占用許可を受けて従前どおりの使用をなし、昭和三七年一一月一五日付申請書に基づく同三九年三月末日までの間の右許可に至つているところ、この間の実行組合及び改良組合の本件三角地帯の使用に対しても、それまでと同様、訴外井狩貞之らが苦情を述べることはなかつたこと、
(オ) 本件三角地帯の土地は、本件土地のうち物件目録(一)ないし(六)については、被告大谷繁が開墾し、その後引続いて耕作し、同(七)ないし(九)については訴外亡大谷宗一郎が開墾し、その後訴外亡岡野止十郎が耕作し、同(一〇)及び(一一)については四七二番、四七四番の土地と共に訴外亡大谷宗一郎において開墾し、その後耕作していたが、右宗一郎は昭和三六年一〇月中頃に交通事故で死亡し、その後は同訴外人の息子である被告大谷忠男が右土地を耕作していたこと、
以上の各事実関係が存する。
(5) 本件三角地帯の土地である本件土地並びに四七二番及び四七四番の土地については、いずれも昭和四七年三月一〇日付で同四三年一月二六日河川区域所属を登記原因として、従前の地目の田から河川区域に地目変更の登記がなされているところ、四七二番及び四七四番の各土地は、戦後農地改革に際し、買収のため便宜新しく付けた地番であるので、従前の地番との関係は明らかでないが、訴外井狩貞之所有地として、昭和二三年七月二日、同訴外人から買収され、当時の小作人であつた訴外亡大谷宗一郎に売渡されたのに対し、本件土地は、一旦は右四七二番及び四七四番の各土地とともに同訴外人の所有地として買収されたが、その後本件土地が官有地であるとの理由で同二四年に右買収は取消され、同訴外人に支払われた右土地の買収の対価が過払として戻入の措置がとられ、これにつき右土地の耕作者からは右土地の政府売渡の要請が繰り返えされたけれども、同訴外人との間では格別の紛議を見ることなく経過し、その結果、右四七二番及び四七四番の各土地の保存登記が昭和二五年六月一五日付でなされていて、自作農創設特別措置法の規定による政府売渡の記載がなされているのに対し、本件土地の保存登記は、昭和四〇年ないし同四三年に至つてなされているが、それには四七二番及び四七四番の各土地の保存登記にみられる政府売渡の記載がない。
(6) 本件土地は、昭和四〇年九月二五日現在、その所在地を管轄する近江八幡市の土地台帳に登載されておらず、したがつて同年度までの固定資産税の課税対象となつていなかつた。
(7) 重之ないしその相続人である訴外井狩貞之が右日野川氾濫時より現在まで、本件土地の所有権を他に移転したことはなく、また本件土地につき所有権の取得時効の援用等所有権の原始取得を主張する者がないにもかかわらず、同訴外人は、本件土地が自己の所有でなくして国の所有に属することを承認している。
2(一) 以上の各事実のうち、右判示1の(二)の(7) の事実に徴すると、重之ないしその相続人である訴外井狩貞之が、前判示の日野川の氾濫後のいずれかの時期において、本件土地の所有権を放棄したものであることは、明らかである。
(二) しかして、右所有権放棄の時期については、右日野川の氾濫後から前判示の新川の河川工事施行時までの本件土地が前判示1の(二)の(1) の状況であつたことよりすると、かかる状況の土地に対する通常の管理は困難と考えられるから、この段階で重之らが本件土地の管理をしなかつたことの一事をもつて、同人らにおいて本件土地の所有権を放棄したものと認定することはできない。しかしながら、右新川の河川工事施行により、本件土地が新川の新水流をはさむ両岸の新堤防の堤外地となり、この時期以降地元住民が本件土地を官有地になつたものとして利用するようになつただけでなく、行政官庁も河川敷たる官有地として本件土地にかかる各種の行政措置を講じて昭和四〇年に至り、その間重之とその相続人である訴外井狩貞之が右地元住民や行政官庁の本件土地の扱い方に何らの苦情を述べた形跡のないこと前判示1の(二)の(4) ないし(6) のとおりであることよりすれば、重之は、右新川の河川工事により本件土地が新川の堤外地となつた時期(大正九年)において、その所有権を放棄したものと認めるのが相当である。
(三) 右重之の本件土地所有権放棄を裏付けるものとして、さらに次の事情も無視できない。すなわち、現行河川法(昭和三九年法律一六七号、同四〇年四月一日施行)が施行される前施行されていた旧河川法(明治二九年法律七一号)では、河川の区域は、地方行政庁が認定し(同法二条)、河川の敷地については私権が排除される(同法三条)こととなつていたところ、本件弁論の全趣旨によれば、日野川は旧河川法の適用河川であるが、本件土地が同法の施行されていた当時河川区域に認定された事実はないものと認められ、したがつて旧河川法の規定及び現行河川法施行法(昭和三九年法律一六八号)四条により河川敷地として原告の所有になつたとすることができないのであるけれども、反覆された出水により、前判示の新川の河川工事当時の本件土地は、前判示1の(二)の(1) のとおり、日野川の河原となつていたものであるから、河川敷地の実体を備えていたものというべく、したがつて、地方行政庁の河川区域の認定により、補償を受ける余地はあつても、重之の所有権が排除されるような法的立場の弱い土地であるとともに、経済的価値も低い土地であつたこと及び右新川の河川工事に際して重之と国との間でなされた土地の異動(前判示1の(一)の(4) 及び(二)の(2) )においては、重之が国から得た経済的利益と、同人が国の利益のために本件土地の所有権を放棄したものとして推測した同人の損失との間に均衡を欠くものと認むべき事情のないこと、以上である。
(四)(1) もつとも、前掲各証拠によると、前判示1の(二)の(4) の(ウ)における本件三角地帯の開墾の際、本件三角地帯内には、前判示の新川の氾濫前から井狩家所有の土地として二筆の田の登記がされていることを知つた右開墾に関与の実行組合関係者は、このことを訴外井狩貞之に連絡し、その結果、現在の四七三番地ないし四七五番地の各土地の南側にある水路の南側付近にあたる地点に、それより南側に民有地があることを示す官民境界の標石が入れられ、この結果開墾地総面積一町五反一畝四歩のうち官有地が一町二反九畝二五歩、民有地が二反一畝九歩(これは四七二番地及び四七四番地の土地の面積に相当する)というように定められ、前記の河川敷使用料は、右の官有地部分に対するもので、民有地部分については支払つておらず、戦後の農地改革においては、右二筆の田が四七二番及び四七四番の各土地として特定され、これが昭和二三年七月二日訴外井狩貞之所有地として同訴外人から買収され、右土地の当時の小作人であつた訴外亡大谷宗一郎に売渡された事実が認められるのであるが、他方証人井狩貞之の証言によると、右官民境界の標石入れは、官有地使用料額決定のためになされたものである事情がうかがわれ、前判示1の(二)の(4) の(ア)ないし(エ)の各事実のとおり、訴外井狩貞之は、本件三角地帯内での右官民境界の標石入れの前後を通じ、本件土地を含む本件三角地帯内の土地に対する自己の所有権を主張することをしないまま、戦後の農地改革に際会し、たまたま同訴外人に登記簿上の所有名義があることにより、これに準拠してなされた前記四七二番及び四七四番の両土地についての買収をそのまま受け容れただけに過ぎないものと考えられるから、右認定の事情をもつて、前記(二)の認定を左右するものとなしがたいところである。
(2) 被告代理人は、右のほか本件三角地帯内で本件土地の北側湖岸寄りに、現在も右訴外井狩貞之所有の原野、山林が存在する事実をもつて前記(二)の認定に対する反証とするけれども、右事実を認めるに足る証拠はない。
(3) 被告代理人の本件土地が河川台帳に記載されていないことを事由とする反論については、なるほど、弁論の全趣旨により、河川台帳に本件土地の記載のないことは認められるけれども、旧河川法のもとにおける河川区域の認定が常に河川の実情に即してなされているものとはいえないから、右事情もまた前記(二)の認定を左右するものではない。
三 被告ら及び訴外亡岡野止十郎が原告主張のとおりの登記を有し、被告岡野すみゑ及び同千鶴子が訴外亡岡野止十郎の相続人であること及び被告川崎嘉一らが原告主張のとおり本件土地を占有することについては当事者間に争いがない。
四 そうすると、原告の請求は、いずれも理由があるから、これを認容し、訴訟費用について民訴法八九条、九三条一項を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 井上清 笠井達也 富川照雄)
(別紙) 物件目録<省略>
(別紙) 登記目録<省略>